統合失調症による認知機能が低下した母と会話をするのが億劫になる時がある。でも、毎日同じことを話すのも苦痛だが、何より元気だった頃の母と比べてしまう自分に腹が立つ時もある。人間に限らず生き物は必ず老いていく。それを認めるのは簡単なようでも意外と難しいものだと気づくまでには時間がかかる。
同じ毎日の繰り返し
認知症状が出てない私から見ると、母は毎日同じ時間を過ごしているのだと思った。
もちろん本人はそんなこと分かってないので、毎日違う時間を過ごしていると思ってる。
会話は毎回同じようなもので、大抵は朝昼晩と同じニュースが流れてるけど、母にとっては毎回初めて聞いたニュースと同じなのだ。
だから、その度に「〇〇って〇〇なのねー。物騒よね」という会話に付き合う。
またかよーと思いつつも「うん、そうだね」と返事をする。
たまにイラッとして、今朝のニュースでやってたよと冷静な反撃に出ることもあるけど、母は「あらそう?」だけで済ませて終わる。
でもこの会話すら覚えていない
ニワトリって3歩歩くと忘れるって言うけど、母もまたその類だ。と思う。
これは元気な時の母に話したらきっとジョークで返してくれるはずだ。
前に、誰かが言っていることを頭の中で変換して違う風に理解してしまうっていう「自己解釈」の話をしたけど、ニュースに至っても全く同じ。
母にかかると、流れてるニュースが全く別物になってしまうから笑える。
時々、母と同じくらいの年齢の人とか、もっと上のおばあちゃんが元気に歩いていたり買い物をしてる姿を見ると羨ましく思うことがある。
母は昔は活発でジッとしてられない性分だった。
いつも車でどこかに出てたりしたけど、目が見えなくなってからはほとんど家から出ようとしなくなった。
車も乗れないし誰かの手を借りないと出られないしというのは当然だけど、本当は母のプライドが邪魔してたんだ。
母は生まれつきの視覚障害者ではなく50代の頃に事故で全盲になった。
目が見えないことが恥ずかしい、義眼って知られたら恥ずかしい、変な歩き方をしてたら恥ずかしい、外で食事するのもこぼしたら恥ずかしい。
とにかく何でも「恥ずかしい」と、人の目ばかりを気にしてた。
そりゃ、客商売してた人だから仕方ないっちゃ仕方ないけど。
いい加減、諦め悪いぜ・・・
ただ、ここ最近は「少しは人の目を気にしろよ」と言いたくなるくらい”遠慮”が無くなった。
ひぇぇぇ・・・と思うようなこともするんだよ
特に、話が進んで楽しいと思うと食事を終えた後でも皿に手が伸びる。
おい、手掴みかよ・・・
母はごちそうさまをしたのに、たぶん昔のクセなんだろうなー。
酒飲みながらつまんでたあの頃の。
今はもう酒もタバコもやめたけど、クセっていうのはなかなか治らないもんでして・・・。
私と夫が食事中なのに、ススッと手が伸びてきてサワサワサワ・・・と食べ物を掴んで食う。
よほど美味しかったのか、「うん、うん」と話に相槌しながらタレまですくって(手で)舐め始める。
夫と顔を見合わせ、そっと箸をおく(笑)
それからは、母が食事を終えた後は皿は私たちの方に寄せることにした。
ま、一種の防御ですな。
サラダで良かった~と思ったけど(笑)
食べたことはお腹が教えてくれるから何食べたかを思い出させる
認知症の人は「食べたことを忘れる」みたいだけど、母の場合は「何を食べたか忘れる」ので、突撃!今日の朝ご飯は何食べましたかタイムをする。
食べたことはお腹が教えてくれる(満腹中枢はまだ働いてるみたい)ので、何食べたかを思い出させるようにしてる。
夕飯時に、夫が「今日の朝ごはんは何食べたの?」と聞くと、母は当然の如く悩む。
「何だったかしらー???」
他にも、孫たちの名前を順番に言わせたり、質問したりして少しでも脳を動かしてやってる(笑)
時間は掛かるけど、思い出した時は本人が一番うれしそうな表情をするのが印象に残る。子供みたいだ。
次に続きます。